北向観音と境内のご案内

北向観音について

北向観音とは

北向観音

北向の観音様は全国的にも珍しい仏様です。その北向観音堂が福応寺の境内にあります。北向観音様の後背には亨保12年(1727年)に作られたことが刻字されています。

言い伝えによりますと「舟岡山(現・半田町)大智寺にて晩年の16年間を過ごした法源禅師が、77才の時、ここ内野に北向観音様を建立され」また、地元の方々から「北向観音様はいろいろなお願い事を聴いて下さる。中でも、子どもの願い事は聞き入れて下さる。」と伝え聞いております。

法源禅師と舟岡山

北向観音内部

法源禅師は慶安4年(1651年)後水尾天皇の皇子としてお生まれになり、10才で京都の泉涌寺に入られ、延宝2年(1674年)には黄檗宗の開祖隠元禅師の第二世木庵禅師についてさらに修行、木庵禅師が亡くなられた後には同じ宗派の独湛禅師に師事された。独湛は細江町瀬戸にある初山宝林寺を開いた名僧である。

それが縁でやがて法源禅寺は宝林寺の住職に迎えられ、はじめて遠江の土を踏まれたのが宝永元年(1704年)禅師53才の時であった。宝林寺に入られた法源禅師は黄檗宗をひろめるため遠州各地を歩かれ、三方原を横切り浜名平野にも出たが、このときたびたび通ったのが舟岡山南側の山道であった。 風光の美しい舟岡山に魅せられた禅師は、領主近藤登之助に願い出て寺を建てる許しを得て、正徳3年(1713年)頃に一寺を開いた。それが大智寺である。

初山から舟岡山へ移った法源禅師は、ひたすら仏道三昧の日々を送っていたが、享保14年(1729年)秋11月、禅師は舟岡山における10年の日々を送った末、弟子の王鳳をともない京都に出かけた。 既に80才に近い高令をおしての旅であった。京においては宗圓寺に仮住まいの生活を送っていたが、旅での疲れが出たためか、享保15年(1730年)2月28日、80才をもって京都で亡くなられた。
≪舟岡山(現・半田町)法源堂の沿革より≫

現世でも、未来でも幸せであるよう

北向観音堂と言えば、長野の善光寺(阿弥陀様)と向き合って北向に建立されている天台宗常楽寺にございます、北向観音堂が有名です。常楽寺にございます北向観音様は北向に建立され千手観音様をご本尊として現世利益を願い、また善光寺は南向きに建立され阿弥陀様をご本尊として未来往生を願います。

「現在」と「未来」の片方だけですと「片参り」と言われており、両方をお参りした方がいいとされています。

福応寺では本堂のご本尊の隣に阿弥陀様を祀っており、古文書によりますとかつて阿弥陀堂が山内にあったとあり、ここ内野でも南向きの阿弥陀堂と北向きの北向観音堂の善光寺信仰があったのではないかと考えられます。
現世でも、未来でも幸せであるよう、お参りください。

北向観音大祭について

福応寺では、お盆の一週間のスタートを表し、また檀信徒様の総供養の意味合いにて7月上旬に本堂前で遠州大念仏(無形文化財)の奉納をしていただきます。その後の山門施餓鬼会の後に、全国的にも珍しい北向観音様の大祭を執り行います。

『“遠州大念仏で始まり大祭の餅投げで終わる”福応寺のお盆』に檀信徒様も地域の方もどちら様も気軽にお立ち寄り下さいませ。

境内について

壁画

福応寺ご本尊の観音様を中心に、境内に咲き誇る四季折々の桜や仏教的な植物達。
画家の渡邉貴裕さんとボランティアの学生さんたちが、一大プロジェクトとし制作してくださった作品です。
高さ3メートル×横50メートルの壁画に、福応寺の物語や想いが凝縮しています。

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山門

福応寺の山門は、春になると周りに桜の花が咲き誇る、美しいスポットです。

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本堂(外観)

様々な植物に囲まれている福応寺本堂。「慈眼」とは、「いつくしみの眼」という意味合いです。慈しみの目をもって、皆様の福を願い応えられるお寺を目指しています。
また、より皆様が過ごしやすく、立ち寄っていただきやすいお寺にするために、定期的に改修やメンテナンスを行っています。

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本堂(内観)

本堂ではお参りのほか、寺ヨガや習字教室などの寺子屋の会場としても役割も担っています。
暑い夏や寒い冬でも安心のエアコン完備。イス席もあり、お年寄りや足の不自由な方にもやさしい造りになっています。

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全景

春には桜が咲き誇り、夏には青々とした美しい田園風景を一望できる高台にあります。

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